釣アンナ恵都子のオペラ修行記

 オペラ修行の旅1 

~ドイツからウイーン編~

2008年 9月 8日



 オペラ演出の勉強をすることを決意して、なけなしの貯金から片道の航空券を購入し(そのころはまだ韓国航空社で片道航空券を発売していた。)、心配する両親には「いつ帰ってこられるか分からない。帰りの切符が買えるようになったらね。」と言い切って右も左も分からぬ知り合いのほとんどいないベルリンへ、かばんひとつで威勢よく出かけたのは2002年の春のこと。その当時はアルバイトも思うようには見つからず、住居も決まらず、生活費削減として交通機関は使わず広いベルリン中を、雨の日も、雪の日も、氷点下20度の寒空の中も、小さな自転車で移動、また食事はジャガイモを主食に安く手に入るキャベツとたまねぎだけで毎日工夫を凝らしながらおかずを作り粗食生活の日々、『オペラを勉強する』という熱い気持ちだけを胸に心は軽く、懐も軽く、それでも毎日元気に街を闊歩していたことを思い出します。

 そんなすこしサバイバル的な生活をしていたベルリンを離れウイーンに移り住んでもう数年たちます。ここ音楽の都ウイーンでは街中すべてのものからクラシック音楽があふれているような気さえします。ふとするとひょっこりモーツァルトが顔を出すのではないかとさえ思わせる、昔から変わらぬ石畳の中心市街地や、中心地からほんの30分ほど行くと見えてくるワイン畑の続く丘は、まるでベートヴェンの第6交響曲”田園”の雰囲気そのままです。 ウイーンなまりのドイツ語も慣れれば耳には心地よく、その流れるような調はウイーンでできた音楽ととても密接な関係があるのではと思わずにはいられません。またそんな言葉をかねてから喋っていたであろう、歴代の作曲家たちの足跡や住居跡は街中に点在し、そのいくつかは博物館としてその当時の生活を今に伝えています。生活の端々でも、たとえば年末のカウントダウン直後に街中がウインナーワルツを踊って新しい年を迎えるという伝統、ウイーン少年合唱団が毎週ミサで聖歌を歌う礼拝堂など、ここウイーンで生活する中で音楽を感じることがとても多く、そんなことからも新たな音楽の発見や文化の理解の大きな助けとなっています。

 もちろんなれない海外暮らし、いつも順風満帆というわけには参りませんがそんなときには中学・高校・大学時代そして現地で出会った親友たちが支えてくれています。特に大変だった留学当初、ドイツ語の一日も早い習得のために日本語を使うことに躊躇していた私にわざわざなれない英語で励ましのエアメールをくれた親友、寂しかろうと故郷の歌をテープに吹き込み送ってくれた親友、栄養失調にならないようにとダンボールいっぱい日本食を送ってくれた親友、専門分野がヨーロッパ文化だからといろいろと知識提供をしてくれた親友、落ち込んだときには長電話に付き合ってくれた親友、熱をだすと心配して自家菜園でとれた薬草を届けてくれた第二のお母さん的存在のMargit、また最近でもドイツ語の発音法を丁寧に教えてくれる先生、文化作法を教えてくれる友人、研修先のたくさんの上司、先輩方や大学の教授陣、同僚、そのほかにも、疲労で倒れそうなときにご好意で診療してくださったお医者様、毎回公演に足を運んでくださる方、いろいろと相談に乗ってくださる人、励ましてくださる方など、これまで出会ったすべての皆様には言葉では表せないほどお世話になっています。暖かく支えてくれた皆様のおかげで今私がこうして立っていられるのだと思っています。

 助けていただいた方々に恩返しさせていただけるようになるには歯痒くももう少し時間がかかるかとおもわれます。その前にもお礼やせめてご挨拶や近況報告をさせていたければ、と心では思っていてもなんだかんだと時間に追われてそれもなかなか叶いません。それではせめてホームページで皆様にお伝えできれば、とここ数年思っていたのですが私の知識不足でそれもままならず、技術的トラブルに悩まされていましたが、親友たちに相談したところ快く力を貸してくださいました。

 ホームページ開設にあって、櫻井涼子さんをはじめ、非常に腕の立つカメラマンFranz Gruber氏, 普段は世界を又に掛けてお仕事中、今回は私のためにスタイリストをかってでてくださった竹居 陽子さん,各国語のスペルチェックを手伝ってくれた親友たちなど本当にたくさんの方々に助けていただきましたことをここに厚く御礼申し上げます。

 オペラに対する熱い気持ちは留学当初も今もまったく変わりません。それどころかオペラを知れば知るほどのめりこみ、最近では『三度の飯より好き』という言葉通り1,2食続けて食事をするのも忘れて没頭していることも日常茶飯事です。そんな中このサイトではできる範囲で更新していこうと思っております。たまにはこのホームページにも遊びに来ていただければ幸いです。

 最後になりましたがこの場をお借りいたしまして、暖かく見守ってくれている両親に感謝いたしますと共に、皆様の今後ともの暖かいご支援ご指導ご鞭撻を賜りますようどうぞお願い申し上げます。

2008年9月 釣 恵都子

オペラ修行の旅2 

〜パリ 太陽劇団との出会い 

体当たりのフランス生活〜

2010年3月1日

 愛すべきウイーン、もはやここで私は生まれたんじゃないかとすら錯覚しつつあった大好きな街、第二の故郷ウイーン。いつ訪れても同じ時を刻み続けているのではないかとすら思わせるこの美しき音楽の都ウイーンを離れる日は予想以上に早くやってきました。

 2009年夏にたまたまひょんなことからフランスの太陽劇団の公演を観劇したわけですが、その想像を絶する演出技術の完璧さ、素晴らしさに私は非常に感動。公演終了後その場にいた総支配人兼女流演出家アリアン・ムシュキン女史に思わず弟子入りを申し込んだのでした。そしてその一週間後には、何か見えない力に背中を押されるようにして荷物をまとめパリ行の夜行列車に乗りこんでいました。

 このようにしてやってきたパリの太陽劇団ですが、この劇団はヨーロッパの演劇界ではとても有名で、またとても独特な劇団でもあります。 劇団と言うより、一つの小さな王国のようでありまた大きな一つの家族であるかのようです。場所はパリ郊外の自然公園の森の中にあり、勤務は稽古のあるときで朝の8時半から始まりますが、何しろ森の中なので近くにお店などは何もなく、したがって昼食から午後休憩時のおやつ、そしてなんと夕食まで、皆で一緒に一つの大きなテーブルを囲っていただきます。もちろんその用意をするのも片付けをするのもみんなでやるのです。同じ釜の飯を食う仲間、とはよく言ったもので、仕事で多少の食い違い等が合っても一緒にご飯を食べればすぐまた打ち解けます。稽古や本番以外の時間は、俳優自ら舞台装置を組み立てる、小道具を作る、かつらを作る、掃除、と皆で仕事を分担します。 リハーサルは時間を気にせず納得がいくまでとことん行われます。稽古の乗っているときは深夜まで稽古を返すこともあり、また乗らない時は皆で何時間もかけてその原因やその突破口、新たなアイディアなどについて話し合います。その結果、よくないと判断がまとまった場合は数週間もかけて稽古をしたシーンをカットしたり、何時間もかけて皆で作った舞台装置を廃棄することもありました。それに自分たちの演劇作品に納得がいかなければたとえ数百万円の損害があったとしても初日を延期することも当然の選択肢として行われます。

 これらのことは、普通には考えられないことでしょう。どんな場面でも経済的観念がどうしても最優先されてしまう昨今で、ここまであえて芸術至上主義を貫いているこの劇団の在り方は私に今まで忘れかけていた、“妥協無き真の芸術のためのこだわり“を思い出させてくれました。しかしこの“芸術のためのこだわり“を貫くことがどれだけ大変か、想像がつくでしょうか?このこだわりを貫けず、妥協を余儀なくされて演出家が苦しむシーンをこれまで何度も見てきましたし、私がこれまで行ってきた演出活動でも常に妥協との戦いでした。 この芸術へのこだわりを貫いているこの太陽劇団はまれに無い劇団だと言えます。それも自分たちが世界に誇れる素晴らしい劇団だというプライドと、そのためには絶対に芸術に関して妥協してはいけないということのスタッフ全員の共通の理解、そして何よりだからこそ良い演劇作品を創りたい、お客様に喜んでいただける公演をしたいという熱意がこうさせているのだと思うのです。その熱意を持ち続けている俳優、スタッフ、そしてそれを導き支える、総支配人兼演出家のアリアン・ムシュキン女史を私は心から尊敬しますし、このような仲間に出会えたことを本当に幸せに思います。



 このようにパリの劇団で演出家のための修行をしておりますが、この劇場以外のところでも本当にいろんなことを吸収しています。言語、ラテン文化、絵画、劇場、シャンソン、歴史、戯曲、などの私の専門分野だけでなく、人間性、食べ物、気候、言葉の中のアクセント等など、数え上げればきりがありません。

 特に文化や人間性に関しては今まで8年間にわたり住み慣れたドイツ語圏の国とは非常に対照的なことに驚かされます。特に北ドイツがどちらかと言うと悲観的なのに比べ、フランスはとことん楽観的なのです。 引っ越してきた当時はこのフランス流の「“今”が楽しければそれでいいじゃないか」的な楽観主義にいささか戸惑うことも多かったですが、このフランス人の辛いことも明るいジョークに変えてしまえるポジティブな精神性を見習うことも多いです。 例えば医療現場などでも笑いが絶えず、患者にまで明るい話題やジョークを振るお医者様たち。普通真面目なはずの医療現場で、このようなあっけらかんとした場面を見たときには本当に目からうろこが落ちたかのようでした。 また、フランス人は得てして繊細な感受性や五感を持っているように感じるのですが、気がつけばその多大な感性を持ってして創られるものは、色彩感覚=例えば絵画、聴覚=フランス音楽、味覚=フランス料理、嗅覚=香水など、すべては世界でもトップクラスのものばかりです。

 沢山あるフランスの芸術ジャンルの中でも、私は特にフランス印象派の絵画が大好きなので時間を見つけては美術館に足を向けるようにしていますが、その天才画家たちが今に残した数々の作品の前に立つとその淡く複雑な色彩、タッチ、輪郭、光、それらの天才的な技巧からそのこだわりと深い感受性を感じずにはおれません。どれだけの時間と労力を費やしてこの作品を仕上げたのか、その工程に思いをはせるとその膨大な仕事量に気が遠くなりそうですが、その芸術への絶対的なこだわりは、その程度の違いこそあれど、先ほどの太陽劇団の芸術へのこだわりと通じるものがあるようにも感じるのです。

 また、演劇やオペラの世界でも、実はパリはとても大切な場所です。なぜなら本当に沢山の有名な戯曲がこのパリという街を舞台に描かれているからです。有名なオペラレパートリーの中では例えば椿姫、ボエーム、マノン レスコーなど、イタリア語で書かれているオペラ故あまり意識されない方も多いかもしれませんが、話の舞台としてパリが登場するオペラ作品は多いのです。 実際に舞台になった環境を知るということは、その作品の理解を深めるうえではとても大切なことです。そういう意味でも、ここパリで勉強ができることをとても幸せに思っています。

2010年 パリにて 釣恵都子

オペラ修行の旅3 
〜あらたなる大陸へ ニューヨーク〜

2010年12月27日​

  クリスマスのネオンが一段と美しく輝く年の暮れ、私はついに大西洋を越えニューヨークにやってきました。
 旅立ちの前は実は大変に悩んでいました。ヨーロッパ生活9年間を経て、ヨーロッパ生活や文化が既に自分の中にとけ込んでいましたし、クラシック音楽やオペラの生まれた場所、ヨーロッパを離れるのがなにより寂しかったのです。そんな私の相談に乗ってくれ、勇気づけてくれたたくさんの友達の後押しによって、私はなんとかヨーロッパ9年間分の荷物を整理し、ニューヨーク行きの飛行機に乗り込んだのでした。

 

最初の下宿先がメトロポリタン歌劇場にごく近かったこともあり、日がとっぷりと落ちてからの到着でしたが、シャンデリアで光り輝くメトロポリタン歌劇場を外から拝み、荷物を部屋に入れたらすぐカーネギーホールに向かいました。なぜなら第一番のニューヨークの活動として、小澤征爾氏復活公演と題されたサイトウキネンオーケストラのニューヨーク公演の舞台裏のお手伝いをさせていただくことになっていたからです。
  それから一週間のすべてのコンサート終了まで、以前大変お世話になった松本の方々、サイトウキネン事務局、サイトウキネンオーケストラの皆様、そしてウイーン国立音楽大学同窓生であり現在飛ぶ鳥勢いの指揮者三OO 敬子との再会、そして大変に素晴らしい合唱団、栗友会の皆様との出会いなど、たくさんのありがたい経験をいただきなんとも幸せなニューヨーク生活のスタートを切ったのでした。

  

ニューヨークに来てまず驚いたことは天気の良さ。パリは得てして曇りの日が多いのですが、その前の年は特にひどい冷夏で夏からずっと、秋も冬も雨や曇りがちの日ばかりだったこともあり、ニューヨークに着いた次の日の朝、真っ青な雲一つない空を見たときには声を上げて喜んでしまいました。

  それから、マンハッタンのエネルギーあふれる空気。なぜだかわかりませんが、街を歩いていると非常に若い活気あふれるエネルギーを感じ自分もがんばろうという気になるのです。これもパリやウイーンなどの歴史あふれる街にある落ち着いたゆったりした雰囲気と大変に対照的です。



 街を歩く人々も多種多様。人種の坩堝とはここのことか、と思い知らされます。これまでのヨーロッパでは、そこの国の人が堂々としていて、そこに住む私たちのような外人はそこに借り宿させてもらっていることをありがたく感じつつ、多少肩身狭く生きているようなところが自然にありましたが、ここではすべての人が大変に堂々と生きています。ここでは英語に少々なまりがあったってあんまり気にはしないようです。様々な文化を背後に持った人たちがそれぞれうまいことそれぞれの場所を見つけて共存し合っているように思えます。

  自由ならではの難しさ、問題点もたくさんあるけれど、でも私はこの国アメリカがどんどんと好きになっています。なにか肩から押されていた目に見えない圧力がとれたかのように今私は身も心も軽く街を闊歩しています。海外生活10年目の今年、これまでの活動を振り返り書類にまとめる機会にも恵まれました。これまでの経験をきっちりと見直し、次のステップへ。これまで国境を越えて引っ越しをし生活環境が変わるたびに途切れてしまっていた気持ち、思い出などがようやく過去、現在、未来という一つのラインに結びついた気がしています。これまでただひたすらがむしゃらにその一瞬一瞬を生きていた気がしますが、これからは過去も大切に、上手に時を積み重ねていきたいと思っています。

2010年12月 ニューヨークにて 

釣アンナ恵都子

 

© 2013-2019 by Anna Etsuko Tsuri