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NY Seikatsu Women - Interview

Anna EtsukoTsuri

Shukan NY Seikatsu, June 18th 2016

by Kaoru Komi

脳裏に見える音楽をオペラで

大学生の時にオペラを観て「自分が脳裏で見えている情景と違う」と思ったのが釣アンナ恵都子さんのオペラ修行の始まり。ベルリン、ウイーン、パリを経てニューヨーク在住は2011年から。オペラ演出家として2年前に米国デビューしたワシントンDCのケネディーセンターで今年4月、桜祭りの一環で「ヘンゼルとグレーテル」を上演した。

2003年にベルリン国立音楽大学ハンスアイスラーのオペラ演出学科に入学、05年にウイーン国立歌劇場の研修生を経て技術部有給スタッフ、ウイーン国立音楽大学オペラ演出学科合格と、すべて日本人初。09年には新国立劇場でオペラ演出家として日本デビュー。ニューヨークにメトロポリタンオペラ歌劇場(MET) の研修の打ち合わせで来た際にフランスから来た「太陽劇団」の公演を観て衝撃を受け、その場で研修を直談判。METでの研修を遅らせてパリで約一年半、寝食をともに時間をかけて一つの舞台を作るという、オペラにはない舞台芸術のアプローチを学んだ。

東京都東村山市で育ち、ピアノやフルートを習いミュージカル劇団に所属するなど芸術に親しんだが、熱意ある小学校の音楽教師があらゆる本物の楽器に触れさせ指揮者の曲作りを語ってくれたのにも、おおいに感化された。親の負担を思い諦めていた音大進学を受験直前で決意、フルートを違うメソッドで一からやり直して専属音楽大学に進学する。ある日キャンパスで、「指揮研究所」のポスターが目に留まるや、小学校高学年からオーケストラや合唱で指揮をしていた釣さんは門を叩き、最年少で入所を認められる。毎日真っ暗な学内に一人で残り、終電では窓ガラスを前に、指揮の練習をした。

集中力と情熱は「逃げないでやり遂げること」に厳しかった両親と水泳教室の鬼コーチのおかげ。突進力は「気づいたら動いている」と釣さん。

幼い頃から音楽を聴いて「絵」が見えたが「みんなは見えないんだ」とわかったのは10代後半。「シネステジア(共感覚)があるから、私の作る舞台はオーガニックで無理がない」。いつもは10分も我慢できない子供や赤ちゃんが1時間以上も静かに大人とともに惹きつけられていたという驚きの声がよく聞かれるそうだ。

創設した「オペラポムルージュ」が2月​、非営利団体の認可を受けた。体験型オペラきかくじょうえんをするかたわらで、 歌手、演出家、舞台監督、オペラ伴奏者などの若手育成にも力を注ぐ。「雑用が多いが、次へのステップの学びの時」といい、今日も新たな人材探しに町中をかけ巡る。

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